本と辞典とシンクロニシティ~創作思考~

 

 漫画や小説、音楽やアイディアをつくりだす上で重要なのは何か? 人生における様々な体験(旅、修行、勉強、遊び)や、誰かとの会話などをベースにすることでしょうか。読書などの活字に触れることも大事そうです。

 

 今回のテーマは本と辞典とシンクロニシティです。読書と創作をすることについて、シンクロニシティを交えつつ考えつつ、書いていきたいと思います。

 

 シンクロニシティと聞くと、偶然の一致や共時性、同時性などの言葉が浮かび上がってきます。無意識には不思議な力があるなど、スピリチュアルの雰囲気を感じさせる言葉だと感じます。

 

 シンクロニシティと読書の関係を私はこう考えます。

 

 読書=シンクロニシティの道を見つけ出す力を養う

 

 シンクロニシティは、ふと頭の中で考えた事が、偶然にも目の前に現れる。もしくは、関連する何らかの出来事が起こるなど。色々とあると思います。

 例えば、

  • 鳥のことを考えていたら、川の水に足をつける白い鳥をたまたま目にしたり。
  • 帰り道の最中、444や777などのゾロ目の番号を持つ奇跡の車と出会った後に、家に着いた時刻が午後の4時44分だったり。
  • ふと、カレーのことを考えていたら、知り合いの家がカレーだったりなど。

 でも、これは必ずしも偶然と言い切れるのでしょうか。仮に、鳥のことも考えず、444や777の数字を見ても何も感じず、カレーのことも考えていなければ、前述の出来事に気づかずに通り過ぎてしまうことがあるかもしれません。

 

 つまり、何かを思う(思考、考え、想像、理想)というその力が、認識の在り方に何らかの影響を与えていると思うのです。

 

 読書は読んでいる最中に知らない言葉との出会いがあります。もちろん推測しつつ読んでいくこともありますが、ふと、この言葉の意味を知りたいな。どうしてもこの言葉だけは知りたいという存在に出会ったら、辞典を使うときもあると思います。

 

 そして辞典は、言語界におけるシンクロニシティの宝庫ではないか思うのです。考え、疑問に感じたことの回答が、辞典という世界において示されていく。また、読んでは、回答を示され、言葉を知っていく。

 

 ふと思ったこと、感じたことがあり、辞典を開けば意義を見せてくれるという、この一連の流れは、シンクロニシティという現象を読書で引き起こしているのと共通する部分があるのではないかと思います。

 

 そう考えてみると、読書をたくさんすれば、シンクロニシティを見つける力が身についていき、よりよい道を歩くことになるのかもしれません。

 

 そうすれば、創作活動においても役に立つことがきっと多くあると思います。また、漫画や音楽、小説やアイディア、絵本など。創作物には形、大きさ内容は違えど、様々なものがあります。ですが、創作物にはどれも、軸、土台、中心となるものが潜んでいると思います。その、存在は物語ではないかと思うのです。

 様々な物語に触れていくにつれて、自分は一体どんな物語を作りたいのか、どんな絵本を描きたいのか。どんな椅子を作り出したいのかなどの、ヒントや閃きがふと起こるかもしれません。

 

 そう考えてみると、日常生活において読書習慣を身につけていきたいなと、なんとなく思う今日この頃です。